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An accident in life 支配された金曜日 [Feb. 2026]

二十歳前後の数年の間、私を含めた中学時代からの仲間三人が中心となって、美術活動や音楽活動を行う緩やかな集団を作って活動していたことがある。

個展をやったりライブをやったりイベントに参加したり、企画によっては仲の良い友人に声を掛けて手伝ったりして貰いながら、それなりに濃厚で充実した活動を続けていた。

活動は毎週金曜日の夜に仲間の家に集まり、仲間の部屋で朝まで夜通しで共同制作をすることを定期的な位置づけとしていた。

取り組んでいる制作物のことはもちろん、一週間のうちに起きた様々な話題について話をしながら進める作業は素直に楽しかったし充実もしていた。

毎週決まった時間に作業をしていたので、友人がふらっと遊びに来ることもしょっちゅうあって、けっこう賑やかに制作を進めていた。

ちょっと根詰めた制作作業が続いたある日、誰からともなく一息入れようということになり、いつも部屋を提供してくれている仲間(これよりMとする)ともう一人の仲間(これよりTとする)と私で、近くのコンビニに買い出しに出掛けた。

コンビニに訪れ、適当なスナック菓子や飲み物をカゴに入れた。

Tがいつも飲んでる清涼飲料水を手に取ったので「Tはいつもそれだね」と私が茶化すように声を掛けると、Tが「昔から好きで飲んでたけど、最近、自分が好きで手に取っているのか、他の何かによって手に取らされているのか、ちょっと分からなくなってきてるんだ」といつになく神妙な面持ちで語った。

昔から繊細で勘の鋭いTは、時々哲学めいたことを語った。

この時のTは、何気ない生活の一場面の、主体的だと思っていた選択の背後に隠された、膨大な社会構造や強靭な市場経済の存在を鋭く察知し、丁寧に内省していたのだと思う。

当時の未熟な私は「主体的な選択はそれ以上でも以下でもないと思うけど」とすべてを個に回収するような、表層的な応答しかできなかった。

レジで煙草を買っていたMにTの話を伝えると「いずれにせよ、この消費社会に生きている以上、理由や正体がどうであれ経済を回すことが正義だし、正解はそこにしかないんじゃない」と当時の社会や文化の潮流を踏まえた批評的な応えが返ってきて、私は何も返すことができなかった。


こうした遣り取りからも分かる通り、Tは直感的で跳躍のある作風を、Mは冷笑的で面白みある作風を、それぞれに得意とし、練度を高めながら周囲の評価を着実に広げていた。

その両者の狭間で私は、中庸で無難でいまいち突き抜けない自身の作風に悩んだものだが、むしろその劣等感が、その後の美大受験のきっかけのひとつにもなった。

活動や制作の費用はほとんど自分たちの持ち出しだったが、友人への謝礼や企画ごとに打ち上げ代が賄えるぐらいには戻りもあり、活動を重ねるごとに手応えのある反応や反響も徐々に増えてきていた。

もう少ししっかり続けることができていれば、面白い方向で何らかの到達ができていたのではないかと思うのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

継続は叶わずとも、今でも青春の一頁の良き思い出として記憶できていればまだ良かったと思うのだが、活動の終わりが残念すぎて、それも叶わなかった。

そんな折、一念発起して世間よりだいぶ遅れて美大を受験した私は、なんとか第一志望に引っかかり、それまで惰性で続けていた仕事を辞め、授業と課題とバイトで忙しく充実した日々へと足を踏み出した。

その頃同時に、Mが以前からバイトで勤めていたIT企業から正社員にならないかと声をかけられ、大きなプロジェクトへの参加をきっかけにその申し出を受け、私とMはまったく違った立場でガラリと生活が変化した。

Mは忙しい中でも、週に一度の共同作業場として、これまでと変わらず自分の部屋を提供し続けてくれていたのだが、次第に私への対応が変化していった。


私の提案には企画書の提出を求め、その内容の粗探しをして何度も却下した。意図的に私への連絡を怠ったり、私を除外するようなイベントを企画したりもした。

それからしばらくして、明確な理由や原因を明らかにされないまま、電話やメールの着信を拒否されて、私はMから一方的に関係を絶たれてしまった。

今にして思えば、畑違いのIT企業へ就職せざるを得なかった音大卒のMは、大胆な選択で新たな歩みを進めた凡庸な私を、愛憎入り混じる複雑な気持ちで眺めていたのだと思う。

MがTに私のことをどのように伝えたかはわからないが、私が活動に参加しなくなった後も、MとTは今まで通りの共同制作を続けていたようだが、次第に制作や活動の内容が変質していったようである。

自分たちの創作を模索する活動ではなく、報酬の裏付けのあるMの会社の案件に手を出すことになったのだ。

Tも最初の頃は面白がってこの案件に携わっていたようだが、二人で法人登記したことをきっかけにMの締め付けがきつくなり、流石にこれはと苦言を呈したようだが話し合いは決裂、MとTは私よりも更に悲惨な結末を辿ったようである。

その後、しばらくぶりに会ったTから事の顛末を聞いた。Tは苦渋の表情を見せながら、最後に「音信不通になった真平の方がまだマシだったよ」と洩らしていた。

あれだけ熱心に取り組んでいた活動を、更に言えば古くからの友人関係をいとも簡単に葬り去ったMは、いったいどのようにして、この一件に折り合いをつけているのだろうかと、今でも不思議に思うことがある。

それこそMとTは幼稚園からの長い付き合いだったのだ。

私の方は、まだ回復力のある人生の早い段階で、Mという人物に出会っておくことができたことは、一種の貰い事故として考えることで、今はなんとか納得できている。