2025年 11月
11月4日(火)

妻が出張のため今週は私が仕事を休んで不登校中の子どもの付き添い中。

うむ。

ただ、付き添いとは言っても、子どもは好き勝手に過ごしているので、私のできることと言えば食事の用意ぐらいのことなので、かなり手持ち無沙汰でもある。

一方で、子どもの年齢的な未熟さや分離不安、はたまた不登校児の放置という意味では、子どもを一人残したままでまるまる一日家を空けるわけにもいかない。

こんな時、在宅勤務の許可さえ出ていればと、忸怩たる思いが募るばかりである。

在宅勤務ひとつでも、ただでさえ悩ましいことの多い不登校家庭の大きな悩みのひとつから解放されることは確かなのに、企業の合理的調整の義務化とはどこへ行ってしまったのだろうか。

あははははぁ。




妻がいないせいもあるかも知れませんが、今朝は私がいつもこなしている朝の家事を、しっかり一時間一緒に手伝ってくれ、そのおかげか朝食をいつもより多く食べていました。

子どもの感情の起伏の激しさや不安定さも、一時期よりだいぶ落ち着いてきた印象です。

今週末に学校の運動会があり、子どもは観戦しに行く気満々でいるようです。「不登校中なのになぜ?」と、子どものそのメンタリティの理解に苦しむ部分もありますが、いやさて、どうなることでしょう。

付き添い生活は酒量が増える、ロブロックスという新たな悩み、寂しがりやなのに一人が好き。

11月5日(水)

今日は祖父母とスカイツリーに登りに行った子ども。

うむ。

今日はそのまま実家で一泊の予定。

できれば二泊してもらえると私の有給休暇が少し温存できるのだが、まあ休暇も時間の問題で無くなることは避けられないので、もう変な無理はしない。

さて先日、文科相の諮問機関である中央教育審議会の作業部会にて、不登校児童に対する学習計画評価の新制度を検討中との新聞記事を見て、少し期待を持って内容を確認してみたところ、現実に即していない当事者不在の明後日の議論ばかりで愕然となってしまった。

不登校対応にしてこれでは他も望むべくもない。

あははははぁ。




妻不在だからだとは思うのですが、ここ数日、子どもの聞き分けは実に良く、家事の手伝いも積極的にしてくれています。

そのぶん妻帰国後の反動が怖いです。

ゾーラン・マムダニという新たな希望か分断か、デザイナーへのレイアウト講座という一番やりたくないやつ、満員電車に乗り慣れてしまった自分に気付く。

11月6日(木)

今日も実家で預かられている子ども。

うむ。

連日不登校関連なので今日は話を変える。

子どもを預かってもらっているついでに、昨日から私も実家で泊まらせてもらっているのだが、今も実家周辺は再開発の只中で、実家近くにあった商店街周辺は中高層のワンルームマンションに姿を変え、商店街の跡地は片側二車線道路に拡幅工事中である。

工事中の道路から一歩中に入ると、かつては豊かな街並みだった住宅街も、小さく切り売りされた極小建売住宅かワンルームのアパート、はたまたシェアハウスに姿を変え、街路樹や庭木の緑が一欠片も無くなってしまった。

そしてとにかく、一番活気があるはずの夕暮れ時の街が、どこもかしこも薄暗く物寂しい。

工事中の建物が多いことも関係しているとは思うのだが、多くの商店が無くなってしまったことと、今流行りの遮光カーテンの影響などもあり、道路の街灯はそれなりにあるのに本当に暗いのである。

更には、多くの人が住んでいるにも関わらず、商店や住宅の窓から漏れ出てくる灯が無いために、建物や道路は立派なのに人の営みがまったく見えてこず、実に閑散とした物寂しい印象なのである。

そんな地元の変わり果てた姿を眺めるたびに、何か大切なところを決定的に間違えたまま進んでしまっている、という強い思いが去来する。

この街も、この社会も、この国も、人の営みを蔑ろにして、いったいどこへ進んでいくのだろうか。




我が家では遮光カーテンは使用していないのですが、遮光以外にも防音や断熱の効果もあるらしいので、部分的に使ってみてもいいのかなとは思っています。

ただ、街の住人の家の窓から漏れる灯りこそが、街の物理的精神的明るさを決定づけているとも思うので、ある種の運動として我が家の窓からは、しっかり灯りを漏れさせていきたいとも思っています。

この社会が良い方向に向かっていると思っている人がどれだけいるのか、20代の外出率が70代よりも低いという事実、子どもは「嗜好品」「贅沢品」と言われる一方で、子育ては「リスク」「コスパ悪い」「無理ゲー」などとも言われている。

11月10日(月)

以前から「観戦しに行きたい」と何度も言っていた学校の運動会だが、先週土曜日の運動会当日の朝になって「やっぱり行かない」となった子どもである。

うむ。

実は前日金曜日、同じく不登校中の子どもの友だちの家に遊びに出掛けた際に、運動会を一緒に観に行こうと約束したらしく、そのことも相俟って、ただの「行かない」が「行けない」になってしまい、その後は久しぶりに荒れに荒れた。

運動会の件に加えて金曜日には、3日ぶりに実家から帰ってきたことと、5日ぶりに妻が帰国してきたこととが重なったことで、それまでの無理や我慢を一気に爆発させて、三日三晩、憂さ晴らしという名の反抗と抵抗を続けている子どもである。

あははははぁ。




先日、会社から改めて在宅勤務は認められないと報告を受けました。

認められない理由については当初の頃とまったく変わらず、ただ認められないことを正当化するためだけに並べられた内容ばかりで、現実の私の状況はもちろん、実際の業務や職場への影響などについてもまったく考慮せれておらず、本当に不誠実だと感じました。

いったいいつまで失望を重ねなければならないのでしょうか。

中古のニンテンドースイッチが2万を切れば、クアラルンプールに行く前にリュックを、二階まで上がってきたツンちゃんの行動力を信じてくれない。

11月11日(火)

久しぶりに始業時間に出社した気がするのだが、やはり朝の通勤電車はいつ乗ってみても異常だと感じる。

うむ。

さて昨晩、夕食中に私の一言が原因でへそを曲げ、自室に籠もってしまった子どもだが、私自身も気づかないような些細な言い回しに対する過剰な反応だったため、事態が飲み込めず唖然となってしまった。

その後、妻から私の言い回しの問題点について嗜められ、彼女の冷静な観察力と細やかな配慮に敬服しつつ素直に反省したのだが、就寝前に今度は妻が子どもと衝突してしまい、今日に至るまで子どもが妻との会話を拒絶しているようである。

本当に難しい。

そんなわけで今日で五日四晩、憂さ晴らしという名の反抗と抵抗を続ける子どもに翻弄され続けている我が家である。

あははははぁ。




今日は児童精神科クリニックの受診日なのですが、朝確認したところ、絶対に行かないとのことでした。

まだ三回目の受診ですが、初診以来子どもは一度も受診しておらず、これ以上当事者不在で受診するのも無意味に感じるので、これにて受診は終わりにしようと思います。

あと経済的にもまずまずの負担なんですよね。

お年玉付き郵便はがき85円時代、ゴミ箱撤去に賛同する自国民の多さ、干しの足りない干し柿。

11月12日(水)

今日も実家に預かられた子ども。

うむ。

今日は本来なら無理に預かってもらう必要はなかったのだが、ここ最近の親子関係の行き詰まりから、子どもと少し距離をとったほうが良さそうだなと判断し、預かりをお願いさせてもらった。

ありがたや。

さて、当事者(子ども)不在で代理受診が続いている児童精神科だが、それではあまり意味がないので、昨日はこれで最後にしようと思って妻と赴いた。

受診では以前行なった「PARS-TR」と「LDI-R」という検査の結果報告があり、こちらが危惧していたほどの深刻な内容ではなかったので少しホッとしたのだが、不登校という現実は変わらないので溜息しか出ない。

あははははぁ。

※ 定期的に専門家から助言を受けることは必要だと感じたのと、いつか子どもも来てくれるだろうということを信じて、受診は続けることになりました。






これまで子どものことで、いろいろな特性の検査を受けてきましたが、結局のところ子どもの知能や発達や自閉や心理の傾向は、社会に対する子どもの適正の相対評価でしかありません。

つまり、社会の持つ特徴や環境や資源によって評価が容易に変容するため、少し社会が変われば特性の問題事態が無くなってしまうということです。

いわゆる「障害の社会モデル」ととてもよく似ています。

もう子猫が迷い込んでくることはない町、ミニマムなテクノロジーでインスタントなエッセンスをフレッシュなままキャッチしたロマンチックなアートが好きなんだ、カタカナ英語って凄い。

11月13日(木)

感情の起伏の激しさや生活習慣の乱れは看過できないが、不登校の継続という意味では安定状態が続いている子ども。

うむ。

昨晩、なぜか子どもが私の寝床にやってきた。

低学年の頃ならまだしも、さすがに子どもも大きくなってきて、一人用布団に二人で寝るにはかなり無理があるため、子どもが寝入った隙に別の寝床に移ったのだが、しばらくすると私の移った寝床にまた子どもがやってくる。

結局、そんな追いかけっこのような事を一晩に四・五回繰り返していたら、いよいよ窓の外が白みはじめてきてしまい、とにかく起床時間ギリギリまでは身体だけでも休めておこうと目を瞑った次の瞬間、出社時間10分前になっていたのだった。

あははははぁ。

※ 子どもの言い分は、追いかけてきたのは私の方だ、とのことです。





久しぶりに昨日、学校から妻に連絡があり、今後のことについて色々と提案があったそうなのですが、そのほとんどが安易で拙速で無責任な内容ばかりで、学校外または授業外での教職員の、あまりの無力さと危うさに愕然としてしまいました。

ちなみにこれは、教職員個人の能力の話ではなく、管理され尽くしてしまった教職員全般の話です。

完全に管理された先生に、生徒を導けるとは思えませんよね。

我々の世代で20代で上がれる論壇の場など皆無だった、ジブリ作品は地上波放送かレンタルしかないので今の子は観てない、「狂うを奪還する」のか。

11月14日(金)

ここのところ朝寝坊が続いているため、朝食を抜く日々も続いている。

腹減った。

うむ。

さて昨晩は妻が不在のため、帰宅するなり夕食の準備に取り掛かろうと思ったが、一応、子どもの希望を確認しにいくと「食べない」との返答。

以前はこうした頭ごなしの拒否にいちいち過剰反応していたが、拒否こそが子どもにとって今できる唯一で最大の自己主張なので、最近はあまり気にしないようにしている。

もちろん「食べない」のは仕方ないが、なにか作っておけば食べるだろうと高を括り、まずは万能の肉そぼろなどの副菜を作りはじめ、さて主菜はどうするか? と冷蔵庫を漁っていたら、自室に籠もっていた子どもから声が掛かった。

忙しいのにまったくもう、と部屋に赴いたところ、子どもが腹痛と頭痛を同時に訴えているので、半信半疑ながらも体温計を取りにいこうとしたところ、子どもが盛大に吐き戻したのだった。

今回は自己主張ではなく、ただ体調悪いからの「食べない」だったのか。

あははははぁ。

※ 一度吐いた後は頭痛も腹痛も和らいだようで、そのまま寝てしまいました。その後も嘔吐も熱もなかったので、原因は夕方に食べた肉まんの咀嚼不足の消化不良かと思われます。前科があるので。





様々な言語や国籍や人種の外国の人々の姿を、当たり前のように見かけるようになり、これぞまさしく、子どもの頃に思い描いた未来の姿だよな、と感動しつつも、なんて生き難い未来になってしまったんだ、とも同時に思います。

稚拙で卑劣な首相を擁立したことで、いきなり正念場に立たされる我が国のカスぶり、G型チョロQに翻弄される我が家。

11月15日(土)

土曜日出勤をさせるような会社だから、在宅勤務も許可できないのだと、至極当然なことに思い至りつつ、会社で迎える土曜日の昼下がり。

うむ。

土曜日なのでいつもと話題を変えて。

先日、とある国民的プロダクトのリニューアルに、学生時代のクラスメイトが携わったっという投稿が、SNSのタイムラインに流れてきた。

内容を確認したところ、コンセプトやテーマもしっかり練られており、丁寧なデザインや親しみやすいビジュアルも申し分なく、国民的プロダクトということを充分に考慮したうえで、この時代における最適解が見事に提示された素晴らしい仕事だと感じた。

ただ一方で、この時代の最適解であることこそが、諸刃の剣になってしまうという危惧も感じる。

評論じみてしまったが、それだけ難しい時代なのである。とにかくまずは、話題になってもらいたい。




そもそも国民的プロダクトというもの自体が成立しづらくなっているのかもしれませんね。

断続的な睡眠は酒のせいか ?、皮肉や逆説が受け取って貰えない時代、多様性や公平性や包括性によって固定化する関係性。

11月17日(月)

先週からの難しい状態が今週も継続中の子どもである。

うむ。

そんな難しい子どもの日常的な付き添や世話は、妻の在宅勤務対応を主軸に、私の休暇と実家預かりでなんとか凌いでいるところだが、私の休暇が残り僅かとなっているうえに、また再び実家へ行き渋りがはじまってしまった子どもである。

我が家より都心に位置する実家へは電車で三駅なのだが、朝の通勤ラッシュ時間こそ外しているものの、それなりに混雑するし、帰りはバッチリ帰宅ラッシュにぶつかる。

ただでさえ不登校なのに、満員電車に乗らなければならないのだから、行き渋る気持ちも分からないでもないが、最近、帰宅時に使う路線バスに、塾帰りの同年代の子たちが乗ってくるようになったのも、ひとつの原因じゃないかと思っている。





来週、学校の社会科見学が予定されているのですが、日程が大幅にズレたうえに見学場所も変わり、バスの手配もできなかったので朝のラッシュ時間に電車で都心へ向かう計画のようです。

しかも驚くべきことに、給食までには学校に帰って来るそうなので、移動時間がほとんどの実社会見学で終わってしまうのではないでしょうか。可哀想に。

就任して一ヶ月も経っていないのに国を存立危機に陥れる首相、その首相を絶対的に支持する多くの健気な国民、それはゾンビの熱狂。

11月18日(火)

今日は妻が出社のため、私が子ども対応で休暇を取った。

このペースだと年内には確実に休暇がなくなる。

うむ。

さてしかし、休暇を取っても子どもは部屋に引きこもっているため、食事の世話以外に特にやることはないのだが、遠くに出かけることはもちろんできないし、思ったより好き勝手に過ごせるわけでもない。

でも、家で何かできないか、何か有効に時間を使うことはできないかと、ネットサーフィンをしながら考えるのだが、昼食に麦酒瓶を空けてしまったりすると、次第に意識も気力も思考力も朦朧となってゆき、気がつけば夕食の準備の時間が迫っているのだった。

どう過ごすのが正解なんだろう。





休暇も残り少ないため、会社の方には労働組合を通して、あらためて在宅勤務を含めた対応策の明示を求めているところです。

しつこくやっていくしかないようです。

串揚げパーティとする、初の海外スマホデビュー、リュックが届きました。

11月20日(木)

目を覚ました瞬間から既に超絶不機嫌で、取り付く島のまったくない子どもの対応を、上手くできる人なんているのだろうか。

少なくとも私の中に有効な手立ては何もない。

うむ。

今月に入ってから、ずっと自室に籠もってYoutubeばかり見ている子どもだが、さすがにそれだけでは飽きてきたようで、どことなく手持ち無沙汰にしている姿を見ることが多くなっている。

でも、だからと言って、自発的な行動に移るほどの気力や自信もなく、受動と能動の狭間で悶々としている子どもである。

そんな子どもだが、来週予定されている学校の社会科見学には「行こうかな」と呟いている。

だが、バスの手配ができなかったために、無理くり計画したラッシュ時間只中の都心への強行軍は、文字通り社会の地獄を体験する実地訓練のような内容になってしまったため、不登校関係なく「やめておいたら」と思ってしまうのが親心ではなかろうか。

ちなみに先月の全校遠足は、雨天強行したようである。

あははははぁ。





SNSで今日流れてきた動画に、レイシストに対峙する勇敢な一人の若者の姿がありました。

私も以前レイシストと対峙した経験がありますが、話せば分かるだろうと思ったことで、非常に不甲斐ない対応になってしまいました。

今度レイシストを見かけたら、あの若者の徹底抗戦の姿勢を見習おうと思います。

CBDとネコ吸いの精神的効能、顎髭を整えると痒くなる現象、オレンジ強めのリュックが届きました。

11月21日(金)

不登校中の家での時間を持て余しはじめつつも、表面的には相変わらずの子どもである。

うむ。

以前にも書いたが、不登校になったことによって、部分的に妙に安定したところもあるのだが、子どもの適切な対応方法とこれから先の見通しという2点においては、まったくどうしていいのか分からないため、大いに悩ましいところである。

分からないのだから仕方がないし、どうすることもできないのだが、そんな心情をしっかり察したパソコンは、Webブラウザを立ち上げるたびに不登校支援を標榜する怪しげな広告が表示されるようになってしまった。

公的支援の手薄さを狙って民間業者がすかさず入り込み、Webを通じて的確に到達してくる。これぞ現代の資本主義的市場原理である。

あははははぁ。





この一年、様々な場面で諦めることに慣れてしまっている我が家ですが、ここ2ヶ月で更に拍車がかかってしまっています。

この三連休で少しでも能動的な変化を引き込めると良いのですが。

訳あって胃袋容量拡張中、こんな時に限って円安が進むという、グーテンベルクの銀河系の末期的形態。

11月28日(金)

毎年の恒例行事となりつつある秋の家族旅行より戻ってきた。今年の行き先はマレーシアはクアラルンプール。

うむ。

去年の台湾旅行では、現地で子どもが熱を出してしまい、ほとんどホテルで過ごすことになったので、今年はなんとしてもトラブル無しで過ごすぞ! と意気込み、妻から譲り受けた三世代前のスマートホンに様々なアプリと情報と現地SIMを搭載し、万全の体制で挑んだ(初のスマホ携帯旅行)のだが、到着二日目の朝にその肝心要のスマホを盗まれてしまった。

盗難の状況については、保険会社に提出した報告書が詳しいので、以下に転記する。


マレーシアの現地時間11月23日(日)10時15分ごろ、クアラルンプールのシティセンターにあるチャイナタウンを徒歩で周遊中、コタラヤのバス停付近にて、背負っていたリュックサックが少し後ろに引っ張られたため、不審に思い後ろを振り返りかえったところ、二名の男性が私のすぐ背後におり、慌てた様子で私を追い抜いて去っていった。

怪しいと思い背負っていたリュックサックを確認したところ、閉めておいた筈の外ポケットのジッパーが開かれ、ポケットの中に入れておいたスマートフォンが無くなっていた。

念の為、最後にスマートフォンを使用した飲食店に確認しに戻ったが、店員が置き忘れは無かったと教えてくれたため盗難と判断、スマートフォンのアプリに登録していたクレジットカードをその場で停止、ホテルに戻ってから別の端末で盗難されたデバイスの保護と初期化の措置をとった。



以上、盗難の顛末である。 あははははぁ。




マレーシアは治安が良いだろうと、勝手に油断していた面も非常に大きいですが、普段使い慣れていないリュックサックとスマートフォンが仇となりました。

あとこの旅で、6時間以上のフライトに肉体的な限界を感じたことも付け加えておきます。

実に情けない限りです。

円の弱さに愕然、盗難届が肝、資格確認証が到着。

11月29日(土)

今日この日記を更新しているということは、土曜日出勤ということである。

うむ。

昨晩、LA在住の妻の友人が帰国。実家へ帰る国内便の乗り換えまで時間が空いてしまったので我が家で一泊して、今日の早朝に出発していった。

文字通り嵐のように、あっという間に去っていってしまった彼女だが、パワフルでコミカルな性格は相変わらずで、たくさんの前向きな活力を置き土産にしてくれた。

あと実際の土産にも、LAの人気スーパー「トレーダー・ジョーズ」のベーグルセサミ(シーズニング)とエコバッグ(カワイイ!)を買ってきてくれて、思わず小躍りしてしまった。

ちなみに私が彼女に「明日(土曜日)仕事なんだ」と伝えたところ、「日本ってまだそんなことやってんだ! あははははぁ!」と笑われてしまった。

あははははぁ。





マレーシアから帰国して一発目に、取引先のデザイン会社で若手デザイナー10名相手のレクチャーの仕事がありました。私の母校はもちろん、まずまず優秀な美大出身のピチピチのデザイナーばかりのはずなのに、まったく覇気がなくて驚いてしまいました。

仕事内容なのか人間関係なのか待遇なのか、そもそもそういう世代なのか、どこに原因があるのか分かりませんが、エネルギッシュなマレーシアという国から帰国したばかりだったので、そのギャップもあったのかもしれません。

人から物を奪う覇気も無いが故の治安の良さ、医療費請求100万ドルの恐怖、高丘親王航海記における羅越の獏。

11月30日(日)

朝から妻は友人と遊びに出掛けてしまい、昼には子どもの友人が我が家に遊びにくるようだが、私は。

うむ。

さて少しマレーシアのことを語ろう。

マレーシアの大きな特徴のひとつとして、他民族(マレー系、中華系、インド系 etc.)、多言語(マレー語、中国語、ヒンズー語、英語 etc.)、多宗教(イスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教 etc.)の多様な人々が共生している国であると言える。

もちろん、何もかもが上手くいっているわけではないだろうし、過去にはかなり激しい対立もあり、今でも民族間格差や集住地域の棲み分けもあるようだが、様々に特徴ある人々が入り混じりながら、一緒に働いたり、一緒に遊んだり、一緒に食事を楽しんだりしている光景を街のあちらこちらで当たり前に見ることができる。

こうした表現が妥当なのかは分からないが、たまたま行きの飛行機の中で観た「スターウォーズ」の「銀河共和国」の世界観に妙に重なってしまい、印象が深まったことも事実である。

そして、そうした共生社会の実現を実際に目の当たりにしたことが逆に、我が国で今まさに巻き起こる排外主義的傾向やお互いの国力の隆盛と斜陽の対比が、見事に鮮明に浮き彫りになるのだった。

あははははぁ。





クアラルンプールではGrabという配車アプリを使って街を周遊していたのですが、どの車も最新型のピカピカの新車で迎えにきてくれました。

一方、帰国時に空港から自宅まで手配した車の荒廃ぶりと言ったらもう。先進国から後進国に戻ってきたような哀切しかありません。

昨晩は久しぶりのダブルヘッダー、お出掛け日和とは今日のことか、近所のまいばすけっっとがリニューアルオープン。